聖書のイエスとモルモンのイエス――アメリカ大陸の大量虐殺と恐怖による支配を検証する
聖書が描くイエス・キリストと、モルモン書が説くイエス・キリストとは全くの別人であると、私は思っています。かつて私がキリスト・イエスと区別して「モルモン・イエス」と呼んでいた際、熱心なモルモン教徒の方々はたいそう怒っておられたようでした。しかし、イエスの死と復活に関する記述を聖書とモルモン書とで比較して読めば、到底同一人物とは思えないはずです。
正統キリスト教において、イエスの十字架の死と復活は「人類の罪をあがなうための究極の自己犠牲」とされます。聖書のイエスは、自らを迫害し十字架にかける者たちのためにさえ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」(ルカによる福音書23章34節)と祈る、愛と赦しの体現者でした。
しかし、モルモン書を開くと、そこには全く異なる「イエスの姿」が描かれています。イエスがエルサレムのゴルゴダの丘で息を引き取ったその瞬間、アメリカ大陸で起きたとされる凄惨な出来事は、キリスト教はもちろん、あらゆる宗教の倫理とも相容れないものです。
1. 十字架の死の瞬間から始まる「アメリカ大陸の大量虐殺」
モルモン書の『第3ネファイ』第8章〜9章には、エルサレムでキリストが十字架につけられた際、遠く離れたアメリカ大陸を襲った未曾有の天変地異が記録されています。
猛烈な嵐、凄まじい大地震、住民ごと火で焼かれ海に沈んだ多くの大都市、あるいは土に生き埋めになった人々、そして地表を覆いつくす「触れることができるほどの3日間の暗闇」。これら超自然的な災害によって犠牲になったのは、エルサレムでの十字架刑に直接関わっていない、何十万人、何百万人というアメリカ大陸の民です。モルモン書では、これがアメリカ大陸の民たちの悪が極まった結果であると説明されますが、あまりにも残虐です。その犠牲者の中には当然、罪のない子供たちや無辜の民も含まれていたはずです。
あまつさえ、暗闇の中で絶望し、泣き叫ぶ人々に向けて、イエスは天から自らの「戦果」を誇るかのような演説をぶっています。これが果たして神の姿なのでしょうか。
2. 地質学と考古学が証明する「完全な沈黙」
もっとも、この「地の面がすっかり変わってしまった」「山が谷になり、谷が山になった」「多くの大都市が完全に消滅した」という天変地異は、科学的に完全に否定されています。
紀元34年頃という時代は、地球の長い歴史から見れば「つい最近」のことです。もし本当にアメリカ大陸全土の地形が激変するほどの同時多発的な巨大地震や火山噴火、地盤沈下が起きたのであれば、現代の地質学、年輪年代学、あるいはアイスコア(氷床コア)の分析から、地球規模の明確な痕跡(広範囲な火山灰の層や地層の急激な変位)が必ず検出されるはずです。しかし、現在の中南米および北米の地質学的調査において、この規模の「紀元1世紀前半の大天変地異」を示す科学的データは存在しません。また、水没したとされる都市の遺構も、生き埋めになった無数の人々の遺骨や生活の痕跡も、一切発掘されていないのが実態です。
3. 恐怖による支配:「DVの構図」
「なんだ、いつものデマか」と、この箇所を読み飛ばしてはいけません。私たちはここに隠された心理的な不気味さを見つめる必要があります。
赫々たる戦果を誇る演説の後、モルモン書のイエスはこう言います。「これらの大都市を滅ぼしたのは、彼らの邪悪さと忌まわしい行いをわたしの目の前から隠すためである……生き残ったお前たち、わたしのもとに来て救われよ」(第9章要約)と。これは即ち、「言うことを聞かない奴らは全員殺した。生き残りたければわたしに従え」という、極限状態での脅迫にほかなりません。
これを聞いた生存者たちは、身内や友人を失った悲しみも吹き飛び、歓喜にむせびます。三文芝居にもならない不自然な筋書きですが、この構造にこそ不気味さを看取らねばなりません。
物心ともに完全に叩きのめされ、恐怖のどん底にいる生存者たちの前に、イエスは白い服をまとって穏やかに降臨します(第11章)。そして自分の傷跡に触れさせ、優しく語りかけます。民は涙を流して彼を崇め、歓喜する――。これはまさに、激しい暴力を振るった加害者が、直後に圧倒的な優しさを見せることで、被害者が「生き残らせてくれた」「優しくしてくれた」という強烈な安堵感から加害者を深く愛し、絶対的に依存するようになる心理的サイクルそのものです。
心理学でいう「トラウマティック・ボンディング(恐怖による絆)」や、家庭内暴力における「DV(ドメスティック・バイオレンス)の加害・被害サイクル」と完全に一致する構造なのです。モルモン書に描かれる民の涙と歓喜は、純粋な信仰の姿などではありません。それこそがマインドコントロールの縮図であり、モルモン書のイエスが、聖書のキリスト・イエスとは決定的に異なる別人であるとされる理由なのです。
4. リアリズムの欠如:3日間の地獄から「一瞬で元気にお出迎え」という不自然
この物語の結末には、生理学的・人間心理的なリアリズムの欠如という、もう一つの大きすぎる矛盾があります。
大地震で家を失い、家族の凄惨な死を目の当たりにし、水も食料も断たれたまま、窒息しそうな煙と3日間の完全な暗闇を生き延びた2,500人の群衆。彼らは本来、立つことすらできないほど心身ともに衰弱し、深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)状態にあるはずです。
それにもかかわらず、イエスが姿を現した途端、彼らはまるで何事もなかったかのように一瞬で元気を取り戻し、整然と並んで何時間も降臨の儀式(一人ずつ傷跡に触れるなど)に参加します。渇水と飢えで立ち上がるのも困難なはずの状況です。まともな書き手であれば、奇跡を起こすにしても、まずは彼らに水と食料を与える描写を入れるでしょう。ここまで来ると、「しっかりプロットを書けよジョセフ君!オリバー君も黙って筆記していないで、少しは矛盾を注意しなさいよ」と突っ込みを入れたくなります。