オウムとモルモン教

モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)が最も秘匿したい教義、それは「血の贖罪(Blood Atonement)」でしょう。しかし、高橋弘氏が「素顔のモルモン教」で論述され、インターネットの普及にあって、この戦慄すべき教義は、ちょっと調べればわかるものになりました。当サイトでも紹介しましょう。

オウム真理教が『ポア』なる教義に基づいて信者を殺害し、非信者を殺害し、最後には「地下鉄サリン事件」を起こしたこと。日本人ならば知らぬ人はない、記憶に残すべき歴史でしょう。このモルモン教の「血の贖罪」の教義もそれに匹敵する、いやそれを上回る教えなのです。この凄惨な史実の萌芽はジョセフ・スミスのノーブー時代にありますが、たけなわとなったのはユタ入植後、ブリガム・ヤングの時代でした。

「もしあなたが……キリストの血では赦されない罪を犯したと知ったなら、あなたの魂を救うために、自分の喉を掻き切られ、その血を煙として神に捧げられることを望まない人がいるだろうか?」
(ブリガム・ヤング、1856年9月 総大会説教より)

このブリガム・ヤングの説教こそが「血の贖罪」の核心をなす部分です。
まず、これは到底まともなキリスト教からは容れがたいことですが、モルモン教は「キリストの贖罪の及ばない罪」があると教えます。それを贖うためには「自分の喉を掻き切られ」て「血煙を天の神に捧げ」て死なねばならないと言うのです。

どのような罪が「キリストの血では赦されない」のでしょうか。

①姦淫(Adultery):既婚者が不倫や浮気などの性的な大罪を犯すこと。特に神殿での聖なる結婚の誓いを交わした後の姦淫は、魂を完全に汚すものとして、血の贖罪の対象とされました。しかし、他人の妻を奪うために濡れ衣を着せてその夫を葬ると言うことも行われていました。
②背教・裏切り(Apostasy):教会を去るだけでなく、教会の秘密(神殿の神約や、多妻結婚の秘密など)を外部に漏らしたり、ブリガム・ヤングら預言者に対して反逆・裏切りを行ったりする行為です。ユタを脱出することも背教とされました。
③異人種間結婚・性交渉(Miscegenation):特に「白人が黒人(カインの末裔とされた)と結婚したり、性的な関係を持ったりすること」を指します。ブリガム・ヤングはこれを非常に激しく憎悪しました。
「白人の血筋に属する者が、カインの種族(黒人)と血を混ぜ合わせるなら、神の法に照らした罰はその場で死刑に処されることである。これによってのみ、彼らは救済を得ることができる。」 —— ブリガム・ヤング(Journal of Discourses, Vol. 10, p. 110)
④殺人(Murder):これは伝統的キリスト教の「聖書」の解釈を根拠としていました。他人の命を奪った者は、キリストの血による赦しの対象外であり、自分自身の血を流してその罪を神に償わなければならないとされました。

人の生命を奪う罰の執行ですが、まともな審理は尽くされませんでした。地域のビショップの評議会で本人の在不在に関係なく決定され、処刑は教会の裏の実行部隊である「ダナイト(Danites)」や、ホセア・スタウトといったヤングのボディーガードたちが動きました。
執行者はターゲットを夜中に待ち伏せしたり、旅の途中で拘束したりしました。ターゲット自らの手で穴を掘らせ、その後穴の縁に跪かせて、喉を(あるいは胸や腹を)切り裂き文字通り血を地面に滴らせて、穴に倒れ込ませました。あとは証拠が残らないよう遺体は素早く埋められ、対外的には「インディアンに襲われた」「行方不明になった」とされました。まさに無法地帯でした。

血の贖罪
血の贖罪のイメージ

恐るべきはこうした殺人を「愛の行い」とされたことでした。ヤング派の幹部たち(ジェデダイア・M・グラントなど)は、
「もしあなたの兄弟が重い罪を犯し、血を流さなければ救われない状態にあるなら、その兄弟の喉を掻き切って血を流してあげることこそが、本当の『隣人愛』である」
とまで言っていたのでした。これはオウム真理教の『ポア』(生き続けて罪を犯す人間は早く死ぬほうがその人のためになる)と共通するところですね。

ジョセフ・スミスの伏線

ジョセフ・スミスの言葉

ジョセフ・スミス自身は「血の贖罪」という完成された教義を公式に宣言しては(※「は」の重複を解消)いませんでしたが、それに繋がる「血を流すことによる刑罰」や「神権政治における処刑」の概念は明確に持っていました。
教義と聖約132章(多妻結婚の啓示)の文脈で新しい永遠の契約を破った者は「肉体において滅ぼされ、主の贖いの日に至るまでサタンの手に渡される」という、厳しい肉体的罰を肯定する表現がすでに含まれています。

ノーブー時代の言説でジョセフは、特定の重大な罪(殺人や姦淫、背教)を犯した者に対して、死刑、それも「血を流す形での死刑」が神の法に適っているという考えを周囲に語っていました。歴史家たちも、「ジョセフの時代には生々しい神学の材料があり、ブリガム・ヤングがそれをのちに成形した」と分析しています。

フリーメイソンからの借用と「誓約の罰(Penalties)」
1880年の改変以前のモルモン神殿のエンダウメントをご存じの方には、この処刑の方法が「罰の執行」の動作と同じであることに気づかれたでしょう。この「神との契約を破った者は血を流して死ぬべきである」という強烈な刷り込みが信者会員にあったからこそ、のちにブリガム・ヤングが「血の贖罪」を説いた際、会員たちはそれを突飛な話として拒絶せず、神殿の教えの延長、奥義として受け入れてしまったのです。

記録に残る犠牲者

最初の明確な犠牲者:ラスムス・アンダーソン事件(1856-1857年頃)

闇から闇へというケースがほとんどの「血の贖罪」執行でしたが、記録に残されたものも少なくありません。記録に残った最初の犠牲者は「ラスムス・アンダーソン」と言われます。「マウンテンメドウズの虐殺(1857年)」の首謀者として唯一死刑判決を受けたモルモン幹部、ジョン・D・リー(John D. Lee)が残した後悔の告白録(『Mormonism Unveiled』)に生々しく記録されています。

1856〜1857年、ユタ州シーダーシティに住んでいたラスムス・アンダーソンという信者が、妻の連れ子(義理の娘)と姦淫(あるいは不倫)の罪を犯したとして、地元の教会の「監督会(ビショップ・カウンシル)」にかけられました。地元のビショップであったフィリップ・クリンゲンスミス(Philip Klingensmith)らは、アンダーソンに対し「お前が犯した罪はイエスの血では贖えない。救われるためには、お前自身の血を流す(血の贖罪を行う)以外にない」と告げ、彼に死を受け入れるよう迫りました。アンダーソンは教義を信じ込まされていたため、自らの救いのためにこの処刑に同意させられたと言われています。ある夜、彼は自ら墓穴を掘らされ、クリンゲンスミスらの手によって喉を掻き切られて殺害され、その血がユタの地面に流されました。

その他の初期の犠牲者たち

トーマス・コールマン(Thomas Coleman)事件(1866年)
ソルトレイクシティで発生した、元奴隷の黒人会員の殺害事件です。彼は白人のモルモン女性に言い寄ったという理由で殺害され、死体は喉を掻き切られた状態で発見されました。その死体の上には、「すべての者がこれを見て戒めとせよ」といった趣旨の警告文が置かれていました。

ウィリアム・パリッシュ(William Parrish)事件(1857年)
ユタから脱出しようとした(背教とみなされた)パリッシュとその息子たちが、地元のモルモン指導者の指示によって待ち伏せされ、惨殺された事件です。これも「背教者の血を流して魂を救う」という名目のもとで行われました。

信者の被害は甚大でした。ブリガム・ヤングの直属の部下のダナイト(Danites)や、地元の血気盛んな長老たちは、夜間になると町をパトロール(巡回)し、不審者の警戒だけでなく、「教会の悪口を言っている不従順な信者(背教者)のあぶり出しと処刑」を行っていました。夜遅くまで明かりがついている家があれば、窓から覗き見されたり、聞き耳を立てられたりしました。そこで「預言者ブリガムへの不信」や「多妻結婚への愚痴」「奉献の法への不満」が少しでも漏れ聞こえれば、数日以内にその家の主人は「行方不明」になるか、あるいは夜道で喉を切り裂かれた死体となって発見されたのです。

さらに「美しい妻や娘を自分の多妻結婚のコレクションにするため」「肥沃な土地や家畜を没収するため」、背教者たちはでっち上げられ、処刑されていました。ユタの町々は日が暮れると閑散として、早々と灯が消えたと言います。

「……夜のソルトレイクシティの通りを歩く者は誰もいなかった。町は墓場のように静まり返り、どの家も暗闇に包まれていた。人々はただ、ダナイトの暗殺者たちが自分の家のドアを叩きにやってくるのではないかと、毛布の中で震えていたのだ。あの時代、ブリガム・ヤングの言葉に少しでも背いた者は、夜の闇に紛れて神の法(血の贖罪)を執行された。」
—— ファニー・ステンハウス『一人の女性の告白(Tell It All)』(1874年)より

制御できないブリガム・ヤング

預言者・大管長ブリガム・ヤングはどうしていたでしょう。彼は説教の中で、「もし背教者が我が物顔で歩いているのを見かけたら、地元の兄弟たちがその場で彼の首をはねたとしても、神はその兄弟たちを咎めないばかりか祝福されるだろう」と何度も語りました。煽っていたのです。信者の締め付けに有効だと思っていたのでしょう。

しかし、トップのお墨付きを得た現場のダナイトや長老たちは「気に入らない奴の始末」「自らの蓄財」を加速させ、これらは独自の暴走モードへと突入しました。自ら説いた教義はダナイトや長老たちによって暴走を始め、もはや預言者ブリガム・ヤングにも制御不能となったのです。トップが火をつけた狂信のブレーキを、現場でかける方法はありませんでした。

(※乱れた重複テキストを一本化)そして、事態は最大の悲劇「マウンテン・メドウの大虐殺」へと繋がってゆくのです。それについては項を改めましょう。

私は冒頭、オウム真理教の『ポア』とモルモン教の『血の贖罪』とに共通するものがあると書きました。そして、オウムもモルモンも「今の私たちには無関係」としれっと存続しています。モルモンに所属するということは、かつてその血の贖罪の狂気を生み出したシステムを肯定し、内包し続ける組織に属するということと同等ではないかと、私は思うのです。

参考文献

大変ショッキングな内容故に、日本語の文献も数冊入手できます。この際、手に取られることをお勧めします。

○モルモン研究の泰斗、高橋弘氏の著書
『素顔のモルモン教―アメリカ西部の宗教 その成立と展開』(Amazon)

○この血塗られた呪縛がいかに現代まで地続きで生き残っていたかは、ゲイリー・ギルモアの弟マイケルが著したノンフィクションの傑作、『心臓を貫かれて』。訳が村上春樹というのも、興味深いです。

○モルモン原理主義の闇に迫ったジョン・クラカワーの傑作ノンフィクション、『信仰が人を殺すとき―過激な宗教は何を生み出してきたのか―』

○あの名探偵のデビュー作、『緋色の研究【新訳版】』(創元推理文庫)の後半部分で描かれた、19世紀ユタを支配していた「暗殺組織(ダナイト)」と過激な神権政治の恐怖は、決してドイルの誇張フィクションではなく、血の贖罪が吹き荒れていた当時の冷然たる事実だったのです。

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