新聞社破壊からカルサージの惨劇まで
― 「引かれゆく羊」の神話を解体する ―

ジョセフ・スミスの暗殺についての状況はモルモン教会はもちろん今も諸説様々に流れています。マイケル・ギルモアが著し村上春樹が翻訳した「心臓を貫かれて」にもギルモア家に伝わるジョセフの死の真相が記されています。興味のある方はご一読をお勧めします。そんなわけで、私もここで真実を整理しておくことにしましょう。もちろん、モルモン教会の語ることも考慮しますが、結論はあれは彼らが作った「神話」です。

1844年6月27日夕刻、モルモン教の創始者ジョセフ・スミス・ジュニアは、イリノイ州カルサージ(カーセージ)の監獄で暴徒らの銃弾を浴びその生涯を閉じました。教会は、彼が『屠殺場に引かれていく羊のように』従順に死を受け入れたと美化(教義と聖約135:4)していますが、一次史料が語る客観的事実は全く異なります。それは、強大な権力を手中にしたジョセフ・スミスの行った言論弾圧による逮捕、その末の半ば自業自得の憤死でした。彼はこっそりと差し入れられた銃をぶっ放して抵抗のなか射殺されているという事実をまずは憶えておきましょう。

① 事件の引き金:新聞社『ナブー・エクスポジター』の破壊

当時、イリノイ州ナブー市はジョセフが市長、裁判官、そして私兵組織「ナブー軍団」の中将を兼任する、合衆国の中の「独立王国(神権政治都市)」と化していました。まさにジョセフは絶頂期にありました。しかし、この異常な独裁体制と極秘に行われていた多妻結婚に反発し、ペンを取って叛旗を翻したのが、元第一大管長会顧問のウィリアム・ローら離反者たちでした。彼らは1844年6月7日、批判新聞『ナブー・エクスポジター』の第1号を発行し、以下の事実を暴露しました。

【新聞が暴露した内部告発】
・ジョセフが秘密裏に行っていた「多妻婚(一夫多妻制)」および未成年・人妻への不適切な勧誘
・ジョセフが自身を「地上における神の王国の王(秘密組織・50人評議会による最高権力者)」として君臨させようとしている野心

自身の絶対的権威と「嘘」と「秘密」を暴露されたジョセフは激怒。市長の権限を濫用して市参事会を動かし、この新聞を「公害」に指定。ナブー軍団を動員して新聞社を襲撃させ、印刷機を破壊し、活字を街頭で焼き払うという暴挙に出ました。これが合衆国憲法修正第1条が保障する「言論・報道の自由」に対する重大な挑戦であったことは歴史の常識です。(モルモンの公式サイトでは襲撃はやむを得ないことだったと述べていますが、暴力肯定とはお話しになりません)

② 逮捕と収監、そして裏切り

ジョセフ・スミスはどうかしていました。言論には言論で対抗するか、黙殺すればよかったのです。彼が取った手段は最悪でした。この言論弾圧に激怒した非モルモン住民の怒りは沸騰、ジョセフらは暴動罪および戒厳令発令による反逆罪で告訴されます。一時、脱走も試みたジョセフですが、連邦政府軍が制圧に乗り出す動きを感じたこと、州知事トーマス・フォードの「裁判期間中は身辺は必ず保護する」との約束を信じ、カルサージ監獄の2階の部屋に兄ハイラム、ウィラード・リチャーズ、ジョン・テイラーとともに収監されました。監獄といっても、鉄格子の牢屋は2階の一部で、彼らが収監されたのは看守のマイホーム部分の2階の普通の、ドアには鍵もかからない部屋でした。部外者の出入りも自由でした。主な人物としては・・・

アルモン・バビット(Almon Babbitt) ジョセフの弁護士的な役割も果たしていた信者。
ジョン・フルマー(John Fullmer) 26日に面会。ハイラム・スミスに単発のピストル(シングルショット・ピストル)を渡す。
サイラス・ウィーロック(Cyrus Wheelock) 27日の朝に面会に訪れる。6連発ピストル(ペッパーボックス・ピストル)を看守の目を盗んでジョセフに手渡す。
ダニエル・ジョーンズ(Daniel Jones) 27日の朝、ジョセフからナブー軍のダナム将軍に宛てた「最終的な救出命令(督促)」の手紙を託された。しかし、彼が馬に乗ってカルテージを出ようとした際、周囲の反モルモン派の民兵に怪しまれ、命からがら逃げ出す。命がけでナブーに持ち帰った手紙を、ダナム将軍は黙殺。
ダン・ジョーンズ(Dan Jones) 事件の日の朝、フォード知事に「監獄の周りの民兵が『知事が出発したらスミスを殺す』と息巻いている。危険すぎる!」と抗議に行くも、知事に体よくあしらわれ、カルテージから追い出される。
スティーブ・マークハム(Stephen Markham) ジョセフの忠実なボディーガードの一人だったが、27日の昼頃、買い出しに出たところをカルテージの民兵たちに無理やり馬に乗せられ、街の外へと強制的に追い払われてしまう。武闘派を排除する企てだったという。

監獄の警備を委託されていたのは、地元の民兵組織「カルサージ・グレイズ(Carthage Greys)」でした。しかし、彼らは筋金入りの反モルモン感情を抱いており、暴徒らと完全に結託していました。そして、収監された三日目(6月27日)の朝、知事フォードは「ナブーの視察に行く」と言って州兵を引き連れて出て行ってしまいました。身辺保護の約束は罠だったのです。渦巻く憎悪の中、4人は孤立しました。信者サイラス・ウィーロックが面会に訪れ、ペッパーボックス・ピストル(回転式6連発銃)をこっそり差し入れました。連発銃はジョセフが持ち、ハイラムは既に単発銃を持っていました。危機を感じていたジョセフは30kmほど離れた場所に駐屯するナブー軍に何度も救援を要請しましたが、ジョナサン・ダナム(Jonathan Dunham)少将は動きませんでした。彼は武力衝突となれば、連邦政府を敵に回さざるを得なくなり、全てが灰燼に帰すことを恐れていました。これは冷静な判断ではありました。

ジョセフは「もし暴徒が来たら、撃ち殺してでも抵抗する」と宣言しました。死を覚悟した決意はありましたが、「引かれゆく羊」ではありませんでした。

同日午後5時過ぎ、顔を泥や煤で黒く塗った約200人の暴徒(ウォルソー民兵を中心とする集団)が監獄を襲います。周辺を警護すべきカルサージ・グレイズは形式的に空砲を数発撃っただけで、またたく間に道を譲り、暴徒の建物への侵入を文字通り「黙認」しました。一階にいた看守ジョージ・W・スティゴール(George W. Stigall)は「入るな!」と立ちはだかって叫んだものの、暴徒に突き飛ばされ、その後はなすすべもありませんでした。彼の家族は危険を察知しほかの家に避難していたと言われます。

③ ジョセフの壮絶な銃撃戦

看守の叫び声、暴徒らが階段を駆け上がる足音、ジョセフら4人に緊張が走ります。部屋のドアを押し開けて室内に入ろうとする暴徒ら。ドアを開けられてはならんとジョセフ以下4人の男がドアを押し返します。ドアを挟んで押しくら饅頭状態となりました。200人も集まった暴徒ではありますが、怒っているばかりで作戦は全くなかったのでしょう。斧とか鉈でドアをたたき割ろうという準備もなく、はしごを使って窓から挟撃するという策もなかったのです。彼らはドア越しに銃弾を撃ち込みました。貫通した弾がハイラム・スミスの顔面に当たり、彼は即死します。ジョセフは6連発拳銃を引き抜き、ドアの隙間から暴徒に向けて迷わず発砲しました。

ジョセフはシリンダーが回る限り引き金を引き、6発の全弾をあっという間に撃ち尽くしました。この反撃により、襲撃側の暴徒のうち少なくとも3人(ジョン・ウィルズ、ウィリアム・ギャラハー、アレン・マクマホン)が負傷し、ひとりは事件後に息を引き取りました。反撃に怯んだ暴徒らはドアを押し開けることをせず、ドア越しの射撃を繰り返しました。ジョセフは5発は被弾したといわれます。ジョン・テイラーは杖をふるって、ドアの隙に延びてくる銃を払い落とそうとしていましたが、4発の銃弾を受け昏倒。リチャーズにベッドサイドまで引きずられて行き、一命を取り留めました。リチャーズは奇跡的に銃弾を受けずに済みました。かれらは幸運にもドアの陰にいたので半狂乱の暴徒らは見逃したと言われています。

ジョセフは空になった銃を投げ捨て、窓辺へ駆け寄り、窓枠に足をかけました。それは彼が部屋にいる仲間を引き離すためだったとも、一人だけ助かるためだったとも言われていますが、今は知るすべもありません。窓の外へ飛び降りようとしたのですが、窓の下も暴徒で一杯で、彼らはジョセフに銃口を向けていました。腹背に銃弾を受けて、ジョセフは「わが神、わが主よ!」と叫びながら、2階の窓から中庭へと転落しました。

このときの言葉をモルモン教会は「最後の祈り」といいますが、「おお、わが神、わが主よ!(O Lord, my God!)」はフリーメイソンの会員が命の危機に瀕した際に発する絶対の救難信号「苦難にある石工の息子のために、誰も助けてはくれないのか(Is there no help for the widow's son?)」の冒頭部分だったと言われています。暴徒のなかにフリーメイソンがいるのではないかと思ったジョセフが仲間を助けろと叫んだというのです。しかし、だれもジョセフを助けてはくれませんでした。

④ 狂気の極み:首切り未遂と私刑(リンチ)の実態

中庭の井戸の柵のそばに落下したジョセフは、この時点でまだわずかに息がありました。当時の目撃者(ウィリアム・ダニエルズ)らの証言によると、暴徒たちは瀕死のジョセフを井戸の壁に立てかけ、さらに至近距離から数発の銃弾を叩き込み、完全に息の根を止めました。

さらに恐るべきことに、興奮状態にあった一人の暴徒が、懸賞金を得ようと、ジョセフの首を刎ねようと大きなボウイナイフを抜いて彼の遺体に近づきました。モルモン教の伝承では「この時、天から突如として凄まじい閃光(または雷鳴)が響き渡り、暴徒の手が麻痺してナイフを落とした」と奇跡的に語られますが、史的事実が示すのは別の状況です。実際には、ジョセフが完全に死亡したことを確認したこと、そして「ノブー軍が報復にやってくる」と誰か(看守ジョージかもしれません)が叫んだことで、暴徒らは大慌てで現場から退散したというのがその真相です。これがモルモンの預言者の殉教の真実そこには単なる暴力の連鎖、むなしい報復と無法な集団私刑しかありません。

ちなみにこの「奇跡」ですが、首を守るなら生命を守れということで、全くお話しになりません!

⑤ もしジョセフ・スミスが死ななかったら?

もしこのカルサージ監獄での銃撃戦がなく、周辺警備が正常に機能し、ジョセフが生き延びて裁判を受けていたら、モルモン教の歴史はどうなっていたでしょうか。歴史学者たちの分析は当時の政治情勢から、ジョセフの生存は教団にとって「より悲惨な自壊」に向かっていただろうとの予測で一致しています。

予測A:合衆国政府による「国家反逆罪」での有罪と処刑

ジョセフは単なる一宗教の指導者にとどまらず、当時はアメリカ合衆国大統領選挙への出馬を表明していました。それと並行して、彼は「50人評議会」という秘密政府を組織し、テキサス、カリフォルニア、あるいはメキシコ領内に、独自の「神権国家(地上における神の王国)」を建国・割譲させる計画を本気で進めていました。これは明確な国家反逆罪(Treason)にあたり、仮にカルサージの暴動を生き延びても、イリノイ州法および連邦法によって拘束され、長期の服役、最悪の場合は国家の手によって処刑されていた可能性が極めて高いと言えます。

予測B:多妻婚の完全露呈による内部からの崩壊

当時、ジョセフの実践していた一夫多妻制(多妻婚)は、教団内のごく一部の幹部のみに秘密裏に行われており、一般信者の多くは「一夫多妻の噂は反モルモンによる悪質なデマだ」と頑なに信じ込まされていました。もしジョセフが正式な裁判にかけられれば、『ノーヴー・エクスポジター』が暴露した内容の検証として、数十人に及ぶ彼の妻たち(中には14歳の少女や、信徒の妻でありながらジョセフの妻にされた人妻たち)が法廷に証人として喚問されることになります。身内からの生々しい証言により、ジョセフが信徒についていた嘘が白日の下に晒されれば、一般信徒の間で大量の離反が起き、教団は組織を維持できず内部崩壊していたはずです。

予測C:ブリガム・ヤングの台頭がない

ジョセフが生き永らえ、醜聞や政治的犯罪、そして憲法違反の泥沼裁判を続けていれば、彼はアメリカ史において「没落した誇大妄想的な詐欺師・犯罪者」として記憶されたでしょう。しかし、法を無視した暴徒によって無残に殺害されたことで、後継者であるブリガム・ヤングはジョセフを「己の血をもって証を立てた聖なる殉教者」へと神格化する最大の切札を手に入れました。この悲劇的な死による信徒の「同情と激憤」が生んだ強烈な結束力、それを利用したユタへの西進(大移動)のエネルギーこそが、現在のモルモン教を存続させた最大の要因なのです。それどころか生き延びたジョセフは早晩、いつもの猜疑心から、実力・能力抜群のブリガムとも対立しそれも教団を弱体させたでしょう。

予測D:小さな地方カルトとして

以上を考慮すれば、ジョセフが生き延びていたなら、モルモン教は現在のような大規模な宗教団体ではなく、せいぜい小さな地方カルトとしてアメリカ社会の片隅に生き残っていたでしょう。


結論として、ジョセフ・スミスの死は、決して「従順な羊」が神の意思に従った結果などではなく、自身の違法行為と暴走が招いた銃撃戦の結末でした。そして歴史の皮肉にも、「あのタイミングで暴徒に殺され、強制的に口を封じられたからこそ、彼は犯罪者ではなく『神の預言者』として神話化されるチャンスを得た」のです。そして、暴力は決して良い結果を生まないという歴史の示す真理を私たちは汲み取るべきでしょう。

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