モルモン教の死後の世界といえば、行いに応じてその行き先がランク分けされます。三つの栄え、「日の栄え」「月の栄え」「星の栄え」を教えます。これはモルモン教独自なもので、真実な教えと主張します。しかし、よく読み、聖書学の視点を知れば、実はこれはただの「とんでもない曲解」と「言語の捏造」からできたハリボテ教義なのです。
ジョセフ・スミスが根拠としたのは、新約聖書『コリント人への第一の手紙』15章にある「日の栄光、月の栄光、星の栄光があり…」というパウロの言葉です。ジョセフ・スミスはこの一句のみを発展させて「ほら、天国は3つに格付けされている!」と決めつけたけですが、これには著者のパウロも草葉の陰で激怒しているに違いありません。なぜなら、この15章のテーマは天国の不動産開発ではなく、一貫して「肉体の復活」の話だからです。
パウロは「現在の朽ちていく肉体」と「復活した後の神聖な肉体」がどれほど次元の違う輝きを持つかを説明するために、当時の自然界の比喩を持ち出しました。前後の文脈を読むと、獣や鳥や魚の肉体の違い(39節)を語った直後に、日や月や星の輝きの違い(41節)を並べ、「復活の体も、これと同じように現在の体とは全く違う輝きがあるのだ(42節)」と結論づけています。つまり、日・月・星は復活の神秘を伝えるための単なる「小道具(比喩)」に過ぎず、天国を3つに分割する話など1ミリもしていません。これを通用させるなら、獣の天国や鳥の天国も作らなければ辻褄が合わなくなってしまいます。
モルモン教はびっくりするくらい聖書を通読させません。聖書の言葉(聖句)をいろいろな箇所から選び出してきて、繋いで都合良く教えます。こういうことをすればいくらでも教義は作れてしまいます。「盗んでも良い」という教義も聖書で肯定させることもできるでしょう。大変危険な読み方をしているのです。通読の癖を付けていれば「あれ?ちょっとおかしいぞ」と気づくことができるのですが、モルモン教はそれをしていないので、信者はジョセフ・スミスの曲解をそのまま受け入れてしまうのです。
デタラメに怒るパウロ
さらに大爆笑ものなのが、最底辺の天国に付けられた「Telestial(星の栄え)」という名前です。最高ランクの「Celestial(天の)」と第2ランクの「Terrestrial(地の)」は元々英語やギリシャ語に存在する正しい対義語ですが、この「Telestial」という単語は、地球上のどの辞書にも、ギリシャ語の原典にも存在しないジョセフ・スミスの完全な造語です。
パウロはギリシャ語で「天のもの」と「地のもの」という2つの対比(天と地)しかしていません。それなのに、ジョセフ・スミスはパウロが比喩で使った「日・月・星」という3つの単語に強引に教義を合わせようとした結果、語感だけで存在しない3つ目の言語を捏造してねじ込んでしまったのです。語学的な知識が乏しかった19世紀の田舎の若者ならではの、お粗末な話しでした。