ウリムとトンミム、そして見者の石

ジョセフ・スミスがモルモン書の翻訳や初期の啓示で使っていたとされる胸当て付きの「ウリムとトンミム」、これは天使モロナイから金版とともに預けられたものでした。この「ウリムとトンミム」がどんなものかについては信者の中にも混乱があります。実際にモロナイから授かったのは『銀の弓に固定された2つの透明な石なのです。挿絵の通り眼鏡の形状とされました。それで金版を見ると英文が浮かび上がってくると言うものです。

ところが別の説では、ひとつの石でその表面に文字が浮かび上がってくるとも言われていました。おわかりと思いますが、その石はジョセフが井戸から見つけ出し、宝堀りに使っていた「見者の石seer stone(茶色い楕円形の石)」なのです。

ウリムとトンミムのイメージ

【図1】公式に宣伝されてきた眼鏡型の「ウリムとトンミム」。銀の弓に透明な石が固定された形状とされるが、実際の翻訳では初期の限られた期間しか使用されなかった。

実際にジョセフは翻訳にあたってこれら二つのアイテムを使っていました。金版とともにウリムとトンミム(解訳器)をクモラの丘から回収した1827年9月から1828年6月までジョセフはウリムとトンミムを使っていました。このときのジョセフの口述っを記録したのはマーティン・ハリスでした。

そこに116ページの紛失事件が発生します。そのため天使モロナイは金版とウリムとトンミムを一時的に没収します。没収された期間は1828年6月〜7月です。返還され翻訳を再開したジョセフは天使から預かった「ウリムとトンミム」とあわせて使い慣れた「見者の石」を使用するようになっていきます。オリバー・カウドリが新たな記録者となってからは専ら「見者の石」で翻訳しています。彼が記録者となってから翻訳は急加速し数ヶ月で完了します。

そうした状況を知る教会は眼鏡式の「ウリムとトンミム」と「見者の石」の区別を曖昧にし、どちらを「ウリムとトンミム」と言ってもかまわないようになったのです。天使から預かった物ではなくオカルティックな「見者の石」の使用をごまかすためでした。

旧約聖書における本来の「ウリムとトンミム」

ここで本当のウリムとトンミムについて述べておかねばなしません。ウリムとトンミムは旧約聖書に登場し預言者や祭司が託宣を受けるための道具でした。両側に穴のあいた胸当てに二つの石(ウリムとトンミム)が入って、そのどちらを引くかで神の意志を聞くというもので、イエスかノーかの二択の神器具だったのです。ジョセフ・スミスはこれを眼鏡のような器具としていますが、根本的に間違っていたのです。

「アロンに服を着させ、帯をしめさせ、衣をまとわせ、エポデを着けさせ、エポデの帯をしめさせ、それをもってエポデを身に結いつけ、また胸当を着けさせ、その胸当にウリムとトンミムを入れ」
── レビ記 8章 7-8節

大官長室の金庫に眠り続けた「見者の石」の旅路

また、「見者の石」は現在モルモンの大官長が保管しています。この石は数奇な運命をたどって来ました。ジョセフは生前、モルモン書の記述者であったオリバー・カウドリに「見者の石」を譲り渡していました。オリバーは後に教会を破門されますが、石は彼が持ち続けました。

1848年、オリバー・カウドリは末日聖徒への復帰を願い出て再バプテスマを受けますが、その直後の1850年に亡くなります。オリバーの死後、彼の未亡人(デビッド・ホイットマーの妹)のもとを訪れ、「預言者の聖遺物」としてこの石を買い取った(譲り受けた)のが、フィニアス・ヤングという人物でした。

茶色い見者の石の実物写真

【図2】大官長会の秘密金庫に隠されていた「茶色い見者の石」。インターネットでの批判や一次史料の暴露に対抗すべく、2015年に初めて公式公開に踏み切った実物。

このフィニアス・ヤングというのは2代目大官長ブリガム・ヤングの実兄で彼は弟にこの石を譲ります。そして、ヤングの死後は教会の所有物となり厳重に保管され今に伝わっているのです。

長年、教会はこの石の存在を積極的に語ろうとしませんでした。信者に対しては、あくまで「神聖な眼鏡型のウリムとトンミムで翻訳した」と教える方が、元詐欺師の占い石(オカルト・魔術的アイテム)という事実を出すよりも都合が良かったからです。

しかし、2010年代に入り、インターネットによる情報拡散や、内外の歴史家が一次史料を暴露し始めたことで隠しきれなくなりました。そこで教会は先手を打つ形で方針を転換。2015年に教会歴史家プロジェクト(ジョセフ・スミス・ペーパーズ)の一環として、大官長室の金庫に眠っていた「茶色い見者の石」の実物写真を初めて公式に世界へ公開したのです。

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