キンダーフック・プレート事件:モルモン史最大の「なんだかなあ」

モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の歴史において、今なお議論や考察の対象となる「キンダーフック・プレート事件(1843年)」。ジョセフ・スミスが当時、どう見られていたか、当時の人々のイタズラ心からの誤算、 最後は現代科学による決着というなかなかの歴史ドキュメンタリーなのです。とはいえ、振り返ってみれば「なんだかなあ」との感慨の湧く脱力系事件でもあります。

① 軽いイタズラが「洒落にならない事態」へ

イリノイ州キンダーフックの町に住むウィルバー・フゲートら数人の若者は、ちょっとしたイタズラを思いつきました。鐘型の真鍮板を6枚用意し、古代文字っぽい図形を彫り、酸で腐食させて、それらをマウンド(古墳)に埋めたのです。翌日、彼らは周囲の人も巻き込んでそれを掘り返し、「大発見だ!」と触れ回りました。

ところが、発見に関わった人々の中にモルモン信者がいたことで、事態は急展開を迎えます。「古代の記録なら、あの金版を翻訳した予言者ジョセフ・スミスに見せるべきだ!」と周囲が盛り上がり、ナブーのジョセフ・スミスに検分してもらうことになってしまったのです。仕掛け人たちは最初からジョセフを試そうとしていたと言いますが、ジョセフが鑑定するに至ったのはたまたまであったという説もあります。

② ジョセフ・スミスの手に渡った「実物」と、未完のままの急逝

プレートの実物はナブーのジョセフ・スミスの元へと運ばれました。ジョセフは確かにその「実物」を目にし、数日間自宅に保管して興味深く観察しました。彼の秘書だったウィリアム・クレイトンは1843年5月1日付の日記に、以下のように記しています。

「私はジョセフ・スミス管長と一緒に彼の家でプレート(キンダーフック・プレート)を見た。ジョセフ管長は、それらの文字のいくつかを翻訳し、それらがエジプトの王パロ(ファラオ)の腰から出た、ハムの子孫の歴史について述べていると言った……」

しかし、ジョセフはプレートを埋めた発掘者(制作者であるフゲートたち)には直接会うこともなく、実物は数日後に持ち主へ返還されました。ジョセフには解読を試みる意思があり、正確な写しも取り、過去の資料(エジプト語のアルファベット集など)と見比べた形跡が残されています。しかし、それ以上ことが進むことはなく、約1年後の1844年6月に彼は暗殺されてしまいます。そして、キンダーフック・プレートもすべて散逸してしまったのでした。

③ 教会の公式機関紙への掲載

この「大発見のニュース」は、当時のモルモン教会の公式機関紙『Times and Seasons』誌に、描き写されたプレートの文字のスケッチ(木版画)と共に大々的に掲載されました。

この頃、ジョセフは「アブラハムの書」を発表、「脂ののった」絶好調期であり、信者も新たな取り組みに大いに期待しただろうと言うことは想像に難くありません。

キンダーフックの版画を収めたチラシ
【画像①ニュース:ノーブーで出版されたキンダーフックの版画を収めた一枚刷りのチラシ。教会歴史図書館提供。】

④ 制作者の自白

1879年、主犯格のウィルバー・フゲート自身が「あのプレートは自分たちがジョセフ・スミスをからかう(あるいは試す)ために作った偽物だ」という詳細な告白手紙を残しましたが、当時は大きく取り扱われることはありませんでした。

⑤ 現代科学が証明した「19世紀のまがい物」

散逸したはずのプレートですが、20世紀後半に「1枚」がシカゴ歴史協会のコレクションから奇跡的に発見されました。紆余曲折を経て1920年に寄贈されたもので、現在も同協会が所有しています。

発見された実物の表面 発見された実物の裏面
【画像②と③ 発見された実物の表裏:現代の我々から見ればいかにも胡散臭い絵柄が並ぶ】

⑥ 結局ジョセフは・・・

ジョセフはまんまとこの「ドッキリ企画」にはまってしまっていたのですが、様々な事情で出版、聖典化などの深入りはせずに済みました。しかし、彼が残したプレート分析は、本物か偽物かという問題を越えて、教義上の大きな矛盾を露呈することになりました。

上述の通り、ジョセフはプレートを「ハムの血筋の人物がアメリカ大陸に渡ってきて、このプレートを作った歴史だ」と言っていました。しかし、モルモン教の根本である『モルモン書』の記述によれば、古代のアメリカ大陸に渡ってきたのは「イスラエルの部族(セム族系)」の民であるとされています。つまり、ジョセフが偽物のプレートを見て直感的に語ってしまった(あるいは自説の知識から推測した)『ハムの血筋』という解釈は、自身が翻訳したはずの『モルモン書』の歴史的・人種的な記述と真っ向から矛盾してしまうのです。

ジョセフ・スミスが生きていれば、このプレートから何をどのように展開したかったのでしょうか。興味の湧くところですが、彼がやはり偽予言者であったという結論をもって、この項を終えましょう。

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