リーハイ一行のエルサレム脱出と旅の矛盾

モルモン書の物語は、紀元前600年頃の古代エルサレムから脱出するリーハイとその家族の旅から始まります。しかし、客観的な歴史事実や聖書の記述、さらには地理的な常識等と照らし合わせると、そこには原作者ジョセフ・スミスの無知と誤解が露呈した、到底成り立たない致命的な破綻がいくつも存在します。今回は、リーハイの旅の幕開けに潜む6つの矛盾を徹底的に検証します。

① 【歴史背景】新バビロニア帝国の脅威とユダ王国末期の外交・預言者エレミヤの活動

モルモン書冒頭の舞台である紀元前7世紀末から6世紀初頭、オリエント世界は激動の最中にありました。長年パレスチナを支配していたアッシリア帝国が滅亡し、代わって台頭したのがネブカドネザル2世率いる「新バビロニア帝国」です。南の超大国エジプトと北東の新バビロニア帝国という二大巨頭に挟まれた弱小のユダ王国は、危急存亡の秋(とき)を迎えます。しかし、ユダ王国は「裏切りの外交」を繰り返し、滅亡へと突き進んでいくのででした。

ざっと、ユダ王国後半の歴史を見ておきましょう

ユダ王国末期における諸王の争いと外交の失敗

本物の預言者エレミヤの活動

このような破滅へのカウントダウンが始まる遥か前から、民に警告を与え続けていたのが「本物の預言者」たちです。とりわけ聖書に登場するエレミヤは、ヨシヤ王の治世第13年(紀元前627年頃)から活動を開始していました。バビロンの最初の侵攻(前605年)よりも20年以上前、ゼデキヤの即位からは実に30年も前から、「このままではバビロンによって国が滅ぼされる」と涙ながらに一貫して警告し続けていたのです。

② 年代の決定的な崩壊:モルモン書自体が孕む「3年のズレ」

モルモン書は、冒頭の第一ニーファイ1章4節で「ユダの王ゼデキヤの治世の第一年に……」と始まり、第一ニーファイ19章8節などでは、そこから「六百年後にキリストが世に遣わされる」と予言されています。ここには明確な数学的・歴史的破綻が存在します。

バビロニアの粘土板史料(バビロニア年代記)により、ゼデキヤが即位した「治世の第一年」は紀元前597年と確定しています。モルモン書の記述通り、そこから「600年後」にキリストが誕生したとすると、キリストの誕生は「西暦4年」になってしまいます。しかし、歴史的なキリストの誕生はヘロデ大王の生存中(ヘロデの死は紀元前4年)であり、紀元前6年〜紀元前4年頃というのが確実な定説です。つまり、モルモン書の暦(タイムライン)は、歴史的事実から約3年から最大で8年ほどズレるという致命的な矛盾を起こしています。

*ちなみにモルモン教会はキリストは西暦1年(あるいは前1年)に生まれたと教義に定めています。

💡 【教会の二枚舌】現行モルモン書の脚注に隠された「降伏」

現在の公式モルモン書の脚注(第一ニーファイ1:4の注など)を見ると、なんと教会側は「ゼデキヤの即位=紀元前597年頃」という【正しい歴史の年代】をしれっと採用しています。

しかし、この正しい歴史年代を認めてしまうと、自動的に「そこから600年後」にキリストが誕生したという本文の預言(前597年 - 600年 = 西暦4年誕生?)が完全に偽りであると自ら認めることになります。ジョセフ・スミスが犯したミスを隠すために、脚注で正しい歴史を載せつつ、本文の「600年」という偽預言の破綻には一切触れないというダブルスタンダード(二枚舌)を使っているのです。

③ 時代錯誤な描写:崩壊・廃墟化していたはずのエルサレムの謎

モルモン書の中で、リーハイやその息子たちが行動するエルサレムは、まるで治安が良く、富に溢れ、何一つ不自由のない「最盛期の都市」であるかのように描写されています。しかし、これは歴史的事実と真っ向から対立する時代錯誤です。

ゼデキヤの第1年(前597年)のエルサレムは、直前のエホヤキン王の降伏にともなう「第一次バビロン捕囚」によって、すでに身ぐるみ剥がされた直後です。国を代表するようなエリート層、富裕層、精鋭の兵士、そして熟練の職人たちはすでに全員バビロンへ連行され、神殿の財宝も大半が強奪された「傀儡の従属国(廃墟一歩手前)」でした。

それにもかかわらず、モルモン書に登場する有力者レーバンは、何不自由なく自分の邸宅で夜な夜な酒宴を開き、神殿の財宝であるはずの「真鍮の版」をなぜか私有し、さらに「50人の部下(護衛)」を従えて威張り散らしています。占領軍が目を光らせ、国中の男たちが連行されてスカスカになった敗戦直後のエルサレムに、これほど大規模な私兵を従えた富豪がのうのうと存在できるはずがありません。ジョセフ・スミスは、ゼデキヤの時代を「まだ何も起きていない平和な時代」だと勘違いして物語を創作した証拠と言えます。

④ リーハイの今更の預言者デビュー:本物の預言者たちとの決定的な時期のズレ

モルモン書において、リーハイはゼデキヤの第1年になって初めて、エルサレムの滅亡やバビロン捕囚の危機を神に示され、街に出て預言を始めます。しかし、このタイミングは「あまりにも手遅れ」「いまさら」です。

当時のエルサレムの一般市民は、つい数ヶ月前にバビロン軍に包囲され、自分たちの身内や王族が文字通り「根こそぎ連行される」という大惨事を、身をもって体験したばかりです。リーハイの預言は既に現実だったのです。にもかかわらず、その大惨事が起きたになってから、あたかも「未来の新しい啓示」を受け取ったかのように「このままではバビロンに捕囚されるぞ!」と騒ぎ立てるリーハイの姿は不自然極まりありません。市民からすれば「そんなことは数ヶ月前に全員経験した」という話です。むしろ、「いまさら言うな」「お前が言うな」の世界です。それは迫害も受けるでしょう。20年以上前から破滅を警告し、命がけで民と向き合っていたエレミヤのような本物の預言者たちに比べ、リーハイの預言者デビューの時期は決定的にズレています。

⑤ レーバン斬首エピソードの異常性と「トンデモ」論理

真鍮の版を手に入れるため、ニーファイが酔いつぶれて意識を失っているレーバンの首を彼の刀で切り落とすエピソード(第一ニーファイ4章)は、モルモン書の中でも特に悪名高い「トンデモ」ロジックが展開される場面です。ニーファイは最初、人を殺すことに躊躇しますが、神の霊(御霊)は彼にこう命じます。「一人の人間が死ぬのは、一つの国民が不信仰に陥って滅びるのに比べれば、はるかにましである。」(第一ニーファイ4:13)

この論理は、のちに新約聖書でイエス・キリストを十字架にかける際、保身に走った大祭司カヤパが放った「一人の人間が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないようになる方が、あなたがたにとって幸福だ」(ヨハネ11:50)という、悪役側の欺瞞の論理と完全に一致しています。モルモン書の神は、聖書における悪役の論理を使って殺人を正当化しているのです。

そもそも、泥酔で意識不明の人間の首をわざわざ撥ねる必要は皆無です。むしろ斬首でたっぷり血を浴びた服をニーファイがそのまま着用し、レーバンの部下を完璧に騙せるという描写もリアリティがありません。暗闇であったとしても血生臭いことこの上なしで気づかれないはずもありません。殺すにしても衣類を奪わねばならず、脱がしてからでしょう。しかし、やはり殺さず縄で縛るなどすれば事は足ります。

また、斬首の方法にも大きなトンデモがあります。モルモン書には「それゆえ、わたしは御霊の勧めに従い、レーバンの髪の毛をつかみ、彼の持っていた剣で彼の首を切り落とした。」(第一ニーファイ4章18節)とあります。つまり、ニーファイは片手でレーバンの髪の毛をつかんで身体を起こし、もう片方の手で剣を取って首を切り落としているのですが、想像してすぐ分かることですが、これは絶対に不可能なことです。ノコギリを引くようにざくざくと時間をかけてやっていけば可能かもしれませんが、これは残虐の極みです。

このエピソードに限らず、モルモン書にはやたらと「首を切り落とす(のちに登場するシズの斬首など)」「凄惨な虐殺」が具体的に描写される傾向があります。ここには、原作者ジョセフ・スミスが持っていた、フロンティア文学特有の粗暴さや「残酷好みの性癖」が色濃く反映されていると指摘せざるを得ません。

⑥ 行き当たりばったりの「何度も引き返す啓示」のおかしさ

全知全能であるはずの神がリーハイ一行に与える命令は、驚くほど効率が悪く、行き当たりばったりです。

神が最初から計画を立てていれば、エルサレムにいる間に「版を回収し、イシュマエル家族を誘ってから」一度に出発すれば済んだ話です。バビロンの監視下にある危険なエルサレムへ、わざわざ息子たちを何度も往復させるこの非効率なプロットは、神の導きというよりも、ジョセフ・スミスが物語を書き進めながら「あ、あれを忘れていた」「これも必要だった」と思いつきで設定を後付けしていった結果であると考えれば完全に辻褄が合います。

⑦ 驚異の超人的移動:わずか「3日」で紅海のほとりへ到達!

物語の地理的リアリティを決定的に粉砕するのが、リーハイ一行の移動スピードです。モルモン書(第一ニーファイ2:4-6)では、エルサレムを出発して「荒野を三日間旅した後、彼は紅海の近くの、ある谷にテントを張った」とあります。

荒野を行くリーハイ一行
【イメージ】過酷な荒野を行くリーハイ一行
老人や女性、大量の家財道具を抱えた一行の移動スピードには、地理的な大矛盾が潜んでいます。

地図上で確認すると、エルサレムから紅海(現在のアカバ湾北端のエラート付近)までの直線距離は、どれほど短く見積もっても約300キロメートルあります。これを「3日間」で移動したということは、1日あたり100キロメートルを移動した計算になります。

近代的な舗装道路も乗り物もない古代の荒野です。リーハイ一行は、老人、女性、子供を含み、さらにテントや家財道具、食料などの大量の荷物をロバや徒歩で運んでいたはずです。当時のキャラバン(隊商)の標準的な移動速度は1日あたり約30〜40キロメートルが限界でした。訓練された現代の軍隊の強行軍でも不可能な「1日100キロの超人スピード」で荒野を駆け抜けたという描写は、ジョセフ・スミスがアメリカ東部の人間であり、中東の過酷な地理や実際の距離感を全く把握していなかった(地球儀や大雑把な地図の見た目だけで『3日くらいだろう』と想像した)ことを如実に物語っています。


客観的な歴史、聖書、そして地理データと照らし合わせることで、モルモン書冒頭の「リーハイの出発」は、19世紀の創作物が持つ典型的な設定の甘さと矛盾に満ちていることが浮き彫りになりました。しかし、彼らの「トンデモ旅」はまだ始まったばかりです。

次は、リーハイ一行のさらなる過酷(かつ不自然極まりない)な荒野の生活と、知識ゼロの状態から始まる謎の「船造り」のエピソードを検証します。

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