造船と航路

砂漠を8年間放浪したリーハイ一族が、ついにたどり着いた約束の海岸。モルモン書の中で、彼らはそこを「バウンティフル(Bountiful=恵み豊かな土地)」と名付けました。何の先入観もなくモルモン書を読んだ人でも、この地名にはぶっ飛ぶでしょう。バウンティフル(Bountiful)とは完全な現代英語だからです。紀元前600年のアラビア半島において、なぜ突如として100%現代英語の地名が登場するのでしょうか。それだけでも読む気を奪うお粗末さですが、そこから始まる「造船」と「アメリカ大陸への航路」の記述は、工学的・歴史的な現実を完全に無視したご都合主義のオンパレードです。

① 「造船」のこと:物証と人数の絶対的限界

現在、モルモン教会側は、アラビア半島南端のオマーン南部(フール・ハルフォート周辺)をバウンティフルの最有力候補地として推定しています。

擁護派(教会側)の主張

教会側の学者は「オマーンの特定の入り江には、モンスーンの影響で部分的に緑豊かなオアシスが存在し、野生の蜜や真水、限定的ながら樹木も自生している。また、鉄鉱石の露頭も見つかっており、モルモン書の描写は現地の地理と一致している」「造船の材料にも事欠かない」と主張し、あたかも物語に考古学的裏付けがあるかのように宣伝しています。

否定派(現実の科学・歴史)の指摘

しかし、一歩踏み込んで「では、本当にそこにある資材だけで太平洋を横断できるタフな船が造れるのか」を検証すると、擁護派の理論は一瞬で瓦解します。ニーファイたちが建造したとされる船は、家族や数か月分の大量の食料・真水、さらには「家畜や野生動物、種子」まで積み込める、全長25〜30メートル、推定100トンクラスの外洋航海用巨大木造船となります。これに対し、現地の資源環境は以下のように絶望的です。

膨大な造船日数:一生かかっても終わらない計算

歴史的な記録に基づくと、100トン級の木造帆船を一から手作業で建造するには、材料が揃っている状態でも最低のべ12,000〜15,000人が必要です。ましてや原木の調達や道具の手作りから始めるニーファイらの場合、必要工数は控えめに見てものべ20,000人を超えます。
旅に同行した成人男性は、反抗的な兄たちを含めてもわずか6人ほど。この6人が休みなく毎日10時間働いたとしても、完成までに約9年という膨大な歳月がかかります。リーハイ一族の砂漠放浪期間は全体で「8年」とされており、バウンティフル滞在期間のタイムライン(数年以内)と完全に矛盾します。

さらに、1本あたり数百キロから数トンに及ぶ竜骨(キール)や梁の組み立て、熱した木材を数分間で一気に曲げて固定する外板加工などは、少人数の筋力では物理的に不可能です。「通りすがりの遊牧民を雇った」という擁護論もありますが、移動を繰り返す遊牧民が高度な造船技術の熟練戦力になるはずもなく、言葉や賃金(エルサレム脱出時に財宝は喪失)の壁も説明できません。

進水の不可能:船体を動かすことすらできない

仮に船が完成したとしても、最後の致命的な壁が「進水」です。現代のような進水台も重機もない砂浜で、数百名以上のマンパワーを必要とする100トン級の巨船を、老人や女性・子供が大半の数十人の家族だけで海へ押し出すことは物理的に不可能です。進水後に老人、子供、女性、家畜などの荷物を海上から船にあげることも相当に困難な作業です。うかうかしているとあっという間に外洋へ流れていってしまいます。その分の重量も船には加算されます。到底、無理です擁護派は「ラグーンの満潮を利用した自然浮上」といった苦しい仮説を立てみたりしましたが、結局は「神の奇跡によって進水した」という、科学的検証を拒絶する領域に逃げ込んでいます。

進水式
【イメージ】リーハイの出港
いざ行け!約束の地へ!

② 「航路」:当時の船舶技術では不可能な太平洋横断

モルモン書においてはどの航路をとったのかは明記されてはいません。アラビア半島の南端を出てアメリカ大陸へ向かうには東航路(インド洋を越え、東南アジアの島嶼地帯を抜け太平洋横断する)か、西航路(アフリカ大陸東岸を行き喜望峰を超えて大西洋を横断する)の二つがあります。教会は一族を乗せた船は東航路を行きアメリカ大陸の西海岸へと到達したとしています。

教会が「東航路(太平洋横断)」を採用する理由

モルモン書(アルマ書など)の記述に「約束の地の西側に海がある」といった描写があることや、ジョセフ・スミス自身の語った啓示から、教会は伝統的に「インド洋から太平洋を渡るルート」を正統としてきました。ジョセフ・スミスは1830年代半ばから後半にかけて、「リーハイの旅に関するジョセフ・スミスの言説(Lehi's Travels)」で啓示として、リーハイ一族は紅海を下り、そこから「東南東」の方向へ進んでインド洋に入った。船はインド洋を通過し、そのまま南太平洋をまっすぐ東へ向かって航海した。そして、「南緯30度」の地点でアメリカ大陸の西海岸に上陸した。と述べています。

しかし、このルート設定こそが海事史・気象学的な大破綻を招いています。

貿易風と偏西風
【気象データ】太平洋に吹く貿易風
赤道付近には常に東から西に向かって吹く強烈な逆風(貿易風)が立ち塞がります。
海流
【海事データ】世界の主要な海流システム
逆風だけでなく、アジア側へ逆流する強大な海流を、原始的な帆掛け船で突き進むことは不可能です。

貿易風、海流、そして操船技術の壁

赤道付近の太平洋には、常に東から西(アメリカ側からアジア側)に向かって吹く強烈な「貿易風」と、それに連動する「東辺赤道海流」が存在します。古代の原始的な帆船、とりわけタッキング(針路をジグザグに変えて逆風を進む高度な帆走技術)をもたない所謂「帆掛け船」では逆風、逆流の壁を越えて進むことは不可能です。軽船ならばオールで漕ぐということもできたでしょうが、なにしろ100トンで漕ぎ手は10人もいません。また、今まで私は彼らの船に竜骨(キール)がある前提で話してきましたが、竜骨を持たない平底あるいは浅底の船だったとすれば、ただただ風に押され潮に流されるのみです。東へ進むことは科学的に物理的に不可能なのです。

(日本の遣唐使船は竜骨を持たない平底構造でした。そのため、わずか数百キロの九州から中国(東シナ海)への航海ですら凄惨な遭難率を記録しています)

💡 考察:全能の神ならば示すべきだった「現実的なルート」

もしリーハイに啓示を与えた神が本物の「全能の神」であり、一族の安全と確実なアメリカ到達を望んでいたのなら、わざわざアラビア半島の無人の海岸で素人に船を作らせ、不可能な太平洋逆風ルートを選ばせるはずがありません。

エルサレムを出発した後、地中海沿岸に出て当時最高の造船・航海技術を持っていたフェニキア人の大型船をチャーター(あるいは技術者を雇用)し、地中海を西へ横断。ジブラルタル海峡(当時の世界の果て)の港湾都市で安全に船を建造・補強した上で、大西洋を東から西へ流れる貿易風と海流に乗る「コロンブスルート」で横断させるのが、当時としても圧倒的に賢明かつ現実的なルートです。

この合理的なルートが示されず、わざわざ物理的限界だらけのアラビア砂漠造船と太平洋逆風横断という「無理心中ルート」が描かれていること自体が、19世紀のアメリカの田舎町で、世界地理や気象学、造船工学の知識を持たないジョセフ・スミスが頭の中で辻褄を合わせようと必死に創作した「お粗末なご都合主義」の動かぬ証拠と言えるでしょう。

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