ジョセフ・スミスの大予言:再臨の日

モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の創始者ジョセフ・スミスの生きた19世紀の終わり頃は終末思想(ミレニアニズム)が吹き荒れた時代でもありました。神と直接対話する「預言者」を称した彼が「終末の予言」を残さないはずはありませんでした。今は教会が必死に隠蔽・言い換えを行っているジョセフ・スミスの終末の「大予言」をご紹介します。エホバの証人も顔負けの具体的な期限付きの終末予言です。

聖書「御子も知らない」vs ジョセフ「私は知っている」の矛盾

新約聖書(マタイによる福音書24章36節)には、再臨の時期について極めて有名なイエスの言葉が残されています。

「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また御子(イエス)も知らない。ただ父(神)だけが知っておられる。」

キリスト教において、再臨のXデーはイエス・キリストすら「知らない」とされている絶対の領域です。しかし、ジョセフ・スミスは自らを神の預言者とするあまり、聖書のこの大前提を無視し、具体的なタイムリミットを何度も口にしてしまいました。

主の再臨
神のみ、御子・天使も知らない再臨。突然で戸惑うイエス

① 「1891年」のタイムリミット(56年後の終末)

最も具体的で、初期の教会員を熱狂させたのが「1891年までに世界が本格的な終わりを迎える」という予言です。

ジョセフ・スミスが初期の十二使徒(最高指導部)を招集した会議の席(1835年2月14日)で、彼は次のように宣言しました。
「神の命令と異言、聖霊によって私に示された。(中略)主の来臨は間近に迫っており、56年でこの劇(この世の歴史)は幕を閉じる。
(教会の公式歴史記録『History of the Church』第2巻182ページに明記)

「1835年 + 56年 = 1891年」となります。この予言を信じた初期の会員たちは、カレンダーの1891年に明確な印をつけ、この年までにキリストが戻ってくると確信して全財産を投げ打って伝道や神殿建設に励んでいました。

② 『教義と聖約』130章に隠された「85歳」の謎

モルモンの聖典『教義と聖約』の130章14〜17節には、ジョセフが神に再臨の時期を執拗に問い詰めた際のエピソードが残されています。

「わたしはあるとき、人の子の来臨の時期を知ろうとして、非常に熱心に祈っていた。そのとき、わたしは次のような声を聴いた。『ジョセフ、わたしのわが子よ、もしお前が八十五歳まで生き長らえるならば、お前は人の子の顔を見るであろう。』」

1805年12月生まれのジョセフが85歳になるのは1890年12月〜1891年です。ここでもやはり「1891年」がターゲットイヤーとなります。
なお、現在の聖典ではこの記述のすぐ後に本人の弁明として「これが、主の来臨がその時に起こるという意味なのか、それとも私が死んで主の顔を見るという意味なのか、私には分からなかった」という一文が添えられており、あらかじめの「逃げ道」が作られています。

③ 「この中に生きて再臨を見る者がいる」予言

新約聖書でイエスが弟子たちに放った有名な言葉(マタイ16:28)を模して、ジョセフは一般の教会員に向け、さらに踏み込んだ予言を公式な場で口にしています。

ジョセフ・スミスは1843年4月6日の総大会において、集まった数千人の聴衆を前にこう告げました。
「わたしは主の御名によって預言する。そしてこれを書き留めておくがよい。ここに立っている人々の中に、主の来臨(再臨)を見るまで死を味わわない者が何人かいる。
(『History of the Church』第5巻336ページ、および当時の日記記録より)

1843年の大会に席を置いていた会員たちは、どんなに若く見積もっても20世紀初頭には全員がこの世を去っています。

④ ミズーリ州の神殿「この世代のうちに建つ」予言

モルモン教はイエス・キリストの再臨の舞台(新エルサレム)は合衆国ミズーリ州インディペンデンスの神殿としています。この予言でも明確な期限を切っていました。

1832年の啓示(『教義と聖約』84編4〜5節):
「まことに、これは主の言葉である。(中略)この世代がすべて過ぎ去ってしまわないうちに、神殿が主のために建てられる。

モルモン教徒はその後、地元住民との激しい衝突(迫害)の末にミズーリ州から完全に追い出されました。ジョセフの言う「この世代(当時生きていた人々)」は19世紀のうちに全員亡くなりましたが、現在もその指定された土地(現在は別の派閥が一部を所有)に神殿は建っていません。

予言のXデー「1891年の危機」と教会の隠蔽工作

1890年〜1891年が近づくにつれ、教会内には異様な緊張感と期待感が漂いました。しかし、ジョセフ・スミス自身は1844年に暗殺されてすでにこの世にいなく、再臨が起きる気配は微塵もありませんでした。

しびれを切らした教会員たちが指導部に説明を求めたため、1890年10月の総大会では、なんと10人以上の説教者が「再臨」をテーマに急遽演説を行う事態に発展しました。
当時の有力な指導者ジョージ・Q・キャノンらは、「ジョセフの1835年の発言は単なる個人の見解(意見)であって、神からの正式な啓示ではなかった」と、予言であったことを否定。(それはそれで預言者が嘘をついてことになり問題です)「神は人間の不従順のせいでタイムラインを変更されたのだ」(どのような不従順があったのか説明責任がありますね)などと弁明し、会員たちの落胆と信仰の危機を必死に抑え込みました。

現代の教会における処理のメカニズム

現在のモルモン教会は、歴史を「なかったこと」にするのではなく、主に「情報へのアクセス制限」「象徴論へのすり替え」で処理しています。

1. 歴史書を一般会員に読ませない(引き算の教育):
『History of the Church』ような詳細な歴史公文書は、一般の教会員が日曜日の礼拝や家庭で読むことはまずありません。教会が推奨するのは、都合の悪い部分を綺麗に削ぎ落とした最新のマニュアルのみです。

2. 「象徴論」へのすり替え:
もし熱心な会員がこれらの記述を見つけて質問しても、教会側は「聖書にもある通り、再臨の日は御子も知らないのだから、ジョセフが言った数字も比喩に決まっている」「主にとっての1日は人間の千年に等しいので、当時の『世代』や『ここにいる者』とは末日の時代全体を指す」といった、聖句を都合よく盾にしたレトリックで煙に巻くのが定石となっています。

しかし、信者に一番効果のあるのは「聖書に神のみぞ知ると書かれているのだから、預言者ジョセフ・スミスがそんなことをいうはずはない」というジョセフ無謬に立脚した断言です。これはそもそも預言者かどうかが問題になっているのであるから、問題外です。

【ご参照まで】諸カルト・新興宗教が唱えてきた「外れた終末の年」一覧

ジョセフ・スミスに限らず、信者を惹きつけ、引き止めるために「具体的な終末の年(Xデー)」を提示し、それを裏切ってきた宗教組織は歴史上後を絶ちません。以下に、代表的な事例を時系列で列記します。

年代(Xデー) 団体・人物名 主張された終末の内容と結末
1844年 ミラー派
(セブンスデー・アドベンチストの前身)
ウィリアム・ミラーが聖書の計算から「1844年10月22日にキリストが再臨する」と預言。多くの信者が全財産を処分して待ったが何も起きず、歴史上「大失望(Great Disappointment)」と呼ばれる大騒動に発展した。
1891年 モルモン教
(末日聖徒イエス・キリスト教会)
創始者ジョセフ・スミスが「56年以内に世の歴史の幕が閉じる」「自身が85歳(1891年)まで生きれば主の顔を見る」と預言。当然何も起きず、指導部が「あれは正式な啓示ではない」と言い訳の火消しを行った。
1914年 エホバの証人
(ものみの塔聖書冊子協会)
創始者ラッセルらが「1914年に異邦人の時代が終わり、神の王国が全面統治を始める(ハルマゲドン)」と予言。同年、第1次世界大戦が勃発したため、組織は「目に見えない形で天の王座に就かれた」という霊的な解釈へと後付けで変更した。
1967年 統一教会
(世界平和統一家庭連合)
文鮮明が「1967年までに神の国(地上天国)が完成する」と主張。実現しなかったため、その後も「1981年」「2000年」「2013年(基元節)」など、数年〜十数年単位で何度も人類歴史の区切りと称するXデーを後ろ倒しにし続けている。
1975年 エホバの証人 人類創造から6000年目が1975年にあたるとして、再び「1975年までにハルマゲドンが来る」と大規模に宣伝。信者たちは家や仕事を捨て、生命保険を解約、進学をやめ、伝道に励んだが何も起きず、翌年以降、数万人規模の大量の離脱者を出す契機となった。
1999年 オウム真理教 麻原彰晃がノストラダムスの予言に便乗し、「1999年にキリスト(麻原)が再臨し、日本は壊滅、オウムの信者だけが生き残る」と主張。その終末予言を自らの手で成就させるために引き起こされたのが、1995年のサリン事件などの一連 of 凶悪犯罪であった。

客観的なまとめ
カルト宗教において、終末の「年」を具体的に指定することは、信者に全財産を投げ出させたり、人生を組織に捧げさせたりするための最も手っ取り早い手段です。
聖書が「御子すら知らない」と釘を刺しているにもかかわらず、それを知っているかのように振る舞う指導者は、歴史上すべて予言を外してきました。そして外れた後は、どの組織も例外なく「霊的な意味だった(目に見えない形で実現した)」「信者の熱意が足りなかったから神が予定を延ばした」という全く同じレトリックで言い逃れをするのが歴史の共通パターンです。
イエスが「神のみぞ知る。御子(即ちイエス自身)も知らないというのは、イエス独特の言い回しで「そんなことは気にせず毎日を精一杯生きよ」という諭しだったと受け取るべきです。

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