何故「神権」が必要だったのか

そもそも、聖書になんら記載のない「神権」という概念。神権はモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の独特のシステムです。アロン神権と、より上位のメルキゼデク神権に分かれ、男子はメルキゼデク神権を保持することが「昇栄(Exaltation)」への必須条件とされています。現在の公式教義では、1829年に天からの使者によってアロン神権とメルキゼデク神権がそれぞれ授与されたと説明されています。しかし、当時の一次史料を客観的に検証すると、そこには教団の危機に伴い「後付けの権威」として神権が考え出されたことが分かります。

① 考察:何故「神権」なる物が必要だったのか?

教団最初期、ジョセフ・スミスには「神権(Priesthood)」の肩書きはもちろん、その概念すら存在していませんでした。1829年当時、彼にあったのは「モルモン書を翻訳する役割」という認識だけだったのです。では、なぜ後になってわざわざ神権なるものを持ち出してきたのでしょうか。

背景にあるのは、当時のアメリカで巻き起こっていた大宗教ブーム(第二大覚醒)です。「我々こそが原始キリスト教の復元だ」と主張する諸宗派が乱立し、互いに「聖書をどう解釈すべきか」と激しい議論を戦わせていました。当初わずか6人で始まったモルモン教会も、組織が大きくなるにつれて内部での対立や、ジョセフの権威を揺るがす反乱分子が現れ始め、信者の「引き締め」が急務となっていました。

そこでジョセフ・スミスは、他派との議論や内紛を一撃でねじ伏せるための必殺技として、この「神権」という概念を導入しました。「聖書の解釈が正しいかどうか」を競うのではなく、「私は天の使者から直接、地球上で唯一有効な『統治権(=神権)』を与えられている。よって私の権威に議論の余地はない」と言い切ることで、教団内における絶対的な独占統治権を確立しようとしたのです。

② 「モロナイ」ではなく聖書の本流の天使の登場

神権を導入するにあたり、モルモン書を伝えた「天使モロナイ」の権威だけでは不十分でした。モロナイはアメリカ大陸独自の古代預言者という、既成のキリスト教社会から見れば「出所不明のキャラクター」であり、やはり胡散臭さが拭えません。伝統的なキリスト教会の信徒たちを効率よく改宗させていくためには、聖書を根拠にする必要がありました。そこで聖書の偉人たちを登場させることにし、以下の二段階の神権を設定したのです。

アロン神権の授与
【図1】アロン神権の授与イメージ
1829年5月15日、バプテスマのヨハネからアロン神権を授かるとされるジョセフ・スミスとオリバー・カウドリ。
神権の種類 聖書における背景・役割 教団における実利的な目的
アロン神権
(下級神権)
バプテスマの(洗礼者)ヨハネより授与。
イエス・キリストに洗礼を施した、肉体のバプテスマを与える権能。
洗礼の正当化と若者の囲い込み
自分たちの洗礼のみを地球上で唯一有効とし、現代でも10代男性に儀式を担わせることで帰属意識を高めている。
メルキゼデク神権
(上級神権)
イエス・キリストの三大弟子ペテロ・ヤコブ・ヨハネより授与。
イエスがもっとも信頼した直弟子たちの権能。
絶対的な指導権の確立
教団幹部に授与し、新たな啓示の下達、教会の運営、一夫多妻制(当時)の導入など、最高権力を正当化する。

③ 「日記の記載」から判明する矛盾

公式発表では、下級であるアロン神権の授与日は「1829年5月15日」とピンポイントで特定されている一方、上級であるメルキゼデク神権の授与日は「5月末〜6月頃」と非常に曖昧です。この原因は、当時のジョセフたちの「実際の日記の記録(行動の事実)」にあります。

1829年5月15日、ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリの二人は、サスケハナ川の近くの森で祈った後、お互いに川に入ってバプテスマを施し合いました。これは、これから始まる壮大なモルモン書プロジェクトを前に、二人が裏切らないよう神の名のもとに結んだ「強固な同盟」、いわば秘密結社的な「義兄弟のカタメ(固めの盃)」ともいうべき個人的な儀式でした。

ここで極めて大切なことは、彼らの当時の日記には、バプテスマのヨハネの登場については一切書かれていないという点です。

何はともあれ「5月15日にお互いバプテスマをした」という動かしがたい日記の記述だけが残っていたため、後年(1834〜1835年頃)になって「神権授与の神話」を後付けで創作した際、アロン神権の日付だけはそこへ固定せざるを得なかったのです。逆に、日記に具体的な行動記録が存在しなかったメルキゼデク神権については、当時の他の行動アリバイと矛盾して嘘が露呈するリスクを避けるため、あえて日付を曖昧にするしか方法がなかったのです。

④ 日記のせいで隠しきれなくなった矛盾

「5月15日の日記の記録」を元に神話を後から付け足した結果、教団の公式設定には、モルモン教の教義自身と矛盾するへんてこな歪みが生まれてしまいました。本来、権能(神権)を持つ者が授けるからこそバプテスマは有効になるはずであり、順序としては「神権授与 → バプテスマ」でなければなりません。しかし、現在の公式ストーリーは以下のようになっています。

メルキゼデク神権の授与
【図2】メルキゼデク神権の授与イメージ
ペテロ・ヤコブ・ヨハネの三大弟子から授与されたとされるが、日付は曖昧なまま。

キリストに直接バプテスマを授けた本物中の本物である「洗礼者ヨハネ」がわざわざ天から降臨したのなら、ヨハネ自らがその手で二人に洗礼を施し、神権を授与する。これが自然な流れです。それをヨハネはわざわざ一歩引いて「自分たちでやり合いなさい」と言い、さらにバプテスマの後に神権を二重に授け合うという歪で遠回りなステップを踏んでいるのは、どうもヘンテコです。

なぜこのような屈折した話になったのかといえば、答えは至って単純です。「1829年5月15日に、当事者二人きりで川に入ってお互いにバプテスマを授け合った」という元々の日記の記述(事実)があり、後から消去したり変更したりすることができなかったからです。「動かせない過去の事実」に、洗礼者ヨハネの降臨という「後付けの神話」を無理やりコーティングした結果、神権が先となり、洗礼が後になるという順序のねじれと矛盾が剥き出しになってしまったのです。

まとめ:モルモン書の沈黙

教会設立時(1830年)の記録には一切登場しなかった「天使からの神権授与」のエピソードは、教団の危機を乗り切るための政治的道具として後から創作されたものでした。

ジョセフ・スミスらの誤算だったのは、自分たち自身の日記の記述に縛られてしまったことです。彼らにすれば単に「義兄弟の契り」を記念として残そうと記録したのでしょうが、それが後世において覆い隠せない矛盾の種になってしまったのです。

これは、ジョセフ・スミスが教団の危心の危機のたびに、その場しのぎの「即興の神話」をでっち上げて権力を維持してきたかを物語る、ひとつの動かぬ証拠なのです。

トップページの一覧に戻る