「三人の見証者たち」の実態
モルモン書の冒頭に誇らしげに掲げられる「三人の見証者の証言」。現在の教会は「彼らは後に教会を去ったが、復帰した。復帰しなかった者も天使から金版を見せられたという証言は生涯取り消さなかった。だからモルモン書は真実だ」と教えています。しかし、歴史の流れ、一次史料を紐解くと、そこには教会の語る美談とはか全く違った生臭くどす黒い人間模様が隠されていたのです。
1835年に何があったのか:泥沼の空中分解へのタイムライン
1830年代半ばから後半にかけて、教団内部ではジョセフ・スミスの「性スキャンダル」と「莫大な金銭トラブル」が立て立て続けに発生しました。神聖な目撃者であったはずの主要幹部たちが、なぜ一斉に反旗を翻したのか。1838年の致命的な空中分解へと突き進む歴史の時系列は以下の通りです。
| 年号 | 出来事・事件の概要と三人の動き |
|---|---|
| 1830年 | モルモン教(キリスト教会)の設立 モルモン書が出版され、共同コミュニティとしての教団がスタートする。 |
| 1833年頃 | ファニー・アルジャー事件の始まり スミス家に奉公人(メイド)として住み込んでいた当時10代前半の少女ファニーと、ジョセフ・スミスの密かな関係が始まる。 |
| 1835年 | 納屋での密会発覚とファニーの追放 ジョセフとファニーが納屋で親密にしているところを妻エマが目撃し大騒動に発展。ファニーは家を追い出される。オリバー・カウドリはこの一件を「汚らわしい不倫関係」として激しく批判し、ジョセフとの間に決定的な亀裂が入る。 |
| 1836年 | カートランド神殿の完成 教会の絶頂期に見えるが、過度な神殿建設による巨額の債務(借金)が教団経営を激しく圧迫し始める。 |
| 1837年 1月 | カートランド銀行(カートランド安全協会)の設立 資金難を解決するため、ジョセフらは独自の銀行を設立。しかし州政府の金融認可が下りず、法律の目をかいくぐる形で強引に独自の紙幣を発行・流通させる。 |
| 1837年 6月 | 銀行の信用失墜・実質的な破綻 銀行の金庫の中身(元手)が空底で、表面だけ本物の金貨、下はただの砂利や鉄くずだったという噂が広まり紙幣価値が暴落。取り付け騒ぎが起きる。 |
| 1837年 11月 | カートランド銀行の完全閉鎖 銀行が完全に崩壊。マーティン・ハリスをはじめとする多くの出資者が全財産を失う。ハリスらはジョセフを「偽預言者」「詐欺師」と激しく糾弾して決別する。 |
| 1838年 1月 | ジョセフ・スミスの夜逃げ 怒り狂った元信者や債権者からの逮捕・暴力から逃れるため、ジョセフとシドニー・リグドンは夜闇に乗じてカートランドを脱出し、ミズーリ州へと逃亡。 |
| 1838年 4月 | 見証者たちの公式破門(空中分解) 残された初期リーダーたちの間で不満が爆発。多妻婚(不倫)を批判し続けたオリバー・カウドリ、および教団の独裁・金銭体制を批判したデビッド・ホイットマーが相次いで教会から公式に破門される。 |
① 三人の見証者のプロフィールと「1838年の空中分解」
ジョセフ・スミスを支え、神聖な目撃者となった創設期トップ三人組は、金、権力、そして性スキャンダルを巡ってわずか数年で完全に仲違いし、空中分解しています。
1. オリバー・カウドリ(主たる筆記者)
ジョセフの口述を書き留め、生前は「見者の石」を形見に譲り受けるほど最も信頼されていたパートナーでした。彼はジョセフにはない知性を持ってました。ジョセフの口述を書き留め、生前は「見者の石」を形見に譲り受けるほど最も信頼されていたパートナーでした。彼はジョセフにはない知性を持ってました。しかし、ジョセフの無認可銀行(カートランド安全協会)の破綻や、ジョセフが自宅の若いメイド(ファニー・アルジャー)と納屋で密会していた不倫スキャンダルを巡って激しく対立。カウドリが「汚らわしい不倫関係だ」とジョセフを非難した結果、1838年に教会を破門されました。
2. デビッド・ホイットマー(翻訳場所の提供者)
ジョセフの独裁的な権力欲や金銭スキャンダルに愛想を尽かし、同じく1838年に教会を破門されました。彼は後に「ジョセフは最初は真の預言者だったが、のちに堕落した」と批判し、ユタ州の主流派(ヤング派)には二度と戻りませんでした。
3. マーティン・ハリス(印刷資金のスポンサー)
非常に裕福な地主でしたが、ジョセフの銀行破綻を批判したことで1837年に決別し、教会を離脱(その後破門)。ジョセフからは「サタンの首魁」と罵られました。
コラム:マーティン・ハリスは「最高のカモ」だったのか?
コラムを読む >② 「目で見ること」の定義のすり替え:肉眼ではなく霊の目
信者は「三人が博物館で実物を見るように、剥き出しの金版を肉眼で確認した」と信じ込まされていますが、彼らの当時の肉声は全く異なります。
- 最たるオカルト盲信者だったマーティン・ハリスは、後に外部から問い詰められ、「私はあの版を、このテーブルの上にあるペンを見るようには見なかった。ただ、信仰の目(霊の目)によって、ガラス越しに都市を見るように見たのだ」と白状しています。
- 三人同時に見たわけではなく、ハリスだけは森の奥で祈った末の「脳内の幻(ビジョン)」としてそれを承諾しました。デビッド・ホイットマーも「直接見たのではなく、衣服の上からカバンの中にあるような感覚で触った」と非常に曖昧な供述を残しています。
③ 「何でも信じる」認知センサーの麻痺
彼らがモルモン書の証言を否定しなかった理由は、それが真実だったからではなく、彼らの「オカルトの認知センサーが麻痺あるいは破損していたから」です。彼らは生涯を通じて、怪しいものを片っ端から信じ、その都度「本物だ!」と熱狂的に証言し続けました。
- ハリスの宗教遍歴: 身ぐるみ剥がれモルモン教を追われた彼はジョセフのライバルだったジェームズ・ストラング派へあっさり入信し、「ストラングの掘り出した別の金属版こそ本物だ!」とジョセフの金版の時以上に証言。その後もシェーカー教など合計5回以上も異なる新興宗教を転々と渡り歩き、その都度洗礼を受け直しました。
- カウドリの魔法の杖: カウドリはピーチの木の枝を使った「占い棒(ダウジング)」の魔術師でした。初期の教会の啓示(現在の『教義と聖約』8章の元)でも神から「ロッド(杖)の賜物」として公式に魔術を認められていましたが、のちに教会は恥ずかしくなり「自然の賜物」と書き換え隠蔽しました。
- ホイットマーの少女盲信: ジョセフと決別した直後、ホイットマー一族は別の「見者の石」を使う霊媒師の少女を「新たな真の預言者だ」として盲信しました。
④ 教会(ヤング派)への復帰は「ジョセフの死後」
教会が誇るもう一つの美談「カウドリとハリスは最後には教会(ヤング派)に戻ってきた」という主張。ここに隠された最大の欺瞞は、二人が戻ったのはどちらもジョセフ・スミスが死んでから(ヤング時代)であるという点です。
- オリバー・カウドリ(1848年復帰): ジョセフの死後4年経ってからの復帰。一般社会で白眼視され、経済的にも精神的にも追い詰められた結果、「元祖筆記者」のネームバリューを欲したブリガム・ヤングの誘いに乗り、生活のために身を寄せました。しかし、所詮は教会の箔付けに過ぎず、役職もなく、ユタへの移住も果たせず飼い殺しのまま二年後に貧困の中で病死しました。
- マーティン・ハリス(1870年復帰): ジョセフの死後26年、ハリスが87歳の超高齢老人になってからの復帰です。家族に見捨てられ、廃墟となった神殿の管理人(自称)として、来訪者への昔語りで、小銭を得るという極貧生活を送っていた老人を、ヤング派が「別派閥で死なれるとプロパガンダ(宣伝)に不都合だから」という理由で、旅費を全額支給してユタへ「回収」したに過ぎません。金を恵んでくれるヤング派にすがり、五年後に亡くなりました。
対照的に、一般社会の馬車ビジネスで経済的に自立し、大成功していたデビッド・ホイットマーだけは、ヤング派の誘いを生涯すべて突っぱね、1888年に亡くなるまで「ジョセフ・スミスは堕落した偽預言者であり、ヤング派の多妻婚は悪魔の教えだ」と批判し続けました。
結論として、彼らは「ジョセフ・スミスが生きている間は、絶対に復帰することはなかった」のです。老後の孤独と困窮から巧みなヤング派の懐柔にあって復帰したのです。自ら信仰を回復したのではありません。ヤング派の調略だったのです。信者の引き締め、他宗派との優越に「信仰の復帰」というファンタジーが欲しかったのです。