下手なSF漫画でもあり得ない。モルモンのハルマゲドン超展開

キリスト教的終末論にあってクライマックスとなる「ハルマゲドンの戦い」と「キリストの再臨」。再臨と終末を信じるクリスチャンでも、それは乱れに乱れた世に救世主がやって来て平和な世界が訪れる大団円のイメージを持ちますが、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)のそれはかなり異なっています。モルモンの終末とはどのようなものでしょうか。それは私たちがテレビや漫画でみた「SFミリタリー劇」の劣化版のようです。

① 「ホワイトホース予言」アメリカ政府の崩壊を予言

現在のモルモン教会が表に出そうとしないジョセフ・スミスの「ホワイトホース予言」。ヨハネの黙示録を気取ったジョセフ・スミスの終末予言です。一部の信者に語ったものであり、その内容があまりにも「過激」であったため、教会はこれを予言とは認めず隠すこととしました。その隠さざるを得なかった内容とは・・・

世界が終末に向かう時、「アメリカ政府およびアメリカ軍」が、激しい内乱と経済崩壊によって真っ先に機能停止(国家崩壊)へと追い込まれます。これはトランプ政権のことではありませんよ。念のため。

「合衆国憲法がクモの糸のように今にも切れそうな危機に瀕した時、白馬たるモルモンの長老たちが立ち上がって憲法を救い、真の秩序を取り戻す」というのが、「ホワイトホース予言」です。

大迫害の恨みと肥大化した愛国心がねじれ合って生まれた、極めて過激でいびつな予言です。現政府は自滅し、モルモン教徒だけが真のアメリカの精神を引き継ぎ世界の救世主になるのです。そのときには合衆国大統領とはモルモン大管長(預言者)となるのでしょう。

② 新しいエルサレム:実は戦力外で引きこもりの聖域

政府が消え去り荒廃したアメリカ大陸において、モルモン教徒たちはミズーリ州ジャクソン郡にシオン(聖都)「新エルサレム」を建設します。これはジョセフ・スミスは早くから予言していたことなのですが、モルモンたちはミズーリー州を早々に追われてしまって、予言だけが残っていたのです。「今インディペンデンスと呼ばれている場所は中心の場所であり、神殿の建てられる地点は西方の、郡庁舎から遠くない地所にある」(教義と聖約57章)(同84章)現在、モルモン教会は予言の地を取り戻すため豊富な財力を持って、施設を建設するなど努力しているようです。ジョセフ・スミスもちゃんと「新エルサレムはソルトレークシティー」と予言しておけばよかったのにと私は思うのですが・・・。

さて、終末間近、世界が大戦乱に巻き込まれる中、この新エルサレムは一体どんな大活躍をするのでしょうか? ここは「避難所」「安全な場所」として不義な者たちからは守られます。(教義と聖約45章66~67節)「同胞に対して剣を執ろうとしない者は、だれでもシオンに逃れなければならない」(同68~69節)戦いに巻き込まれたくなければ新エルサレムに「集合」せよとのことなのです。

教会が世界に広がった今、さすがにこの「集合」には無理があります。教会は「霊的な集合」に教義を転換しています。曰く、「シオンとは心のありよう(心清き者)」であり、最寄りのステークに避難しなさい」となりました。

新旧ふたつのエルサレムに戻って、整理しておきましょう。

終末の舞台 主たる勢力 戦いにおける実際の役割
旧エルサレム(中東) 血統のユダヤ民族 世界連合軍に包囲される血みどろの最前線(バトルフィールド)
新エルサレム(アメリカ) モルモン教徒(末日聖徒) 武器を持たずに神のバリアに守られる安全圏(シェルター)

『教義と聖約』の予言によれば、終末の戦い(ハルマゲドン)は中東の旧エルサレムのみになります。新エルサレムに集まる民は神に守られますので、中東が地獄絵図になっている間、キリストが帰ってくるのを待つだけの「壮大なお留守番」なのです。しかし、それも新エルサレムという設定があればこそ、各地のステーク部の面々はどうなるのでしょうねえ。

ジョセフ・スミスの時代、エルサレムはオスマントルコの領土であり、住んでいたユダヤ人も少なかったのです。しかし、リバイバル(大覚醒運動)が巻き起こり、「旧約聖書のエゼキエル書やゼカリヤ書、新約の黙示録に書かれていることは、比喩ではなく文字通りに起こる」と信じる人々が急増しました。「終末に神はイスラエルの民を四方から集める」と書いてあるため、「いつかユダヤ人がエルサレムに帰るはずだ」と盲信するプロテスタントの思想家たちがすでにいてジョセフはそれに乗ったのです。

③ エルサレム攻城戦:無敵の二人の長老

では、ハルマゲドンの本戦はどこで行われているかといえば、中東の「旧エルサレム」です。世界中から帰還し、国を再建し、エルサレムに集合した血統のイスラエルの民に対し、神を忘れた世界の邪悪な連合軍が総攻撃を仕掛けます。凄惨な籠城戦が勃発します。

ここでヨハネの黙示録11章に由来する「二人の預言者」が登場します。モルモンの解釈では、彼らは「血統はユダヤ人だが、モルモン教の神権を授かった戦士」です。彼らは口から火を吹き、天変地異のバリアを張り、近代兵器を持つ世界連合軍を相手にたった二人で3年半もの間、エルサレムの防衛線を維持し続けます。さながら「世界連合軍の物量に立ち向かう2機のモビルスーツ」を思わせます。

④ キリスト再臨と、正統派キリスト教をも巻き込む恐るべき聖書解釈

3年半の激闘の末、二人の預言者はついに殺害され、エルサレムのユダヤ人が絶体絶命の窮地に追い詰められたその瞬間、ようやくイエス・キリストがオリーブ山に降臨します。キリストの口から出る言葉、 圧倒的な神の栄光という名の「天の火」が一瞬にして世界連合軍を焼き尽くし、ハルマゲドンの局地戦は一瞬の力技で終了します。はい!そこ、「登場が遅いやろ!」なんて言わない。

こうしたなんとも言いようのない聖書の曲解の「ドラマ」を「新興宗教のデタラメ」と切り捨てるのは簡単ですが、実はプロテスタントを中心とする正統派キリスト教の一部(福音派など)も、全く同じ解釈の誤りにハマっています。

新約聖書(福音)において「神の民(イスラエル)」とは、血統ではなくキリストを信じるエクレシア(教会)へシフトしたはずでした。しかし彼らは旧約聖書の文言を文字通りに受け止め、「現在の政治的なイスラエル共和国やユダヤ民族そのものが神の終末劇の主役である」と過剰に評価しています。だからこそ、現実の中東情勢を「予言の成就だ」などと喜ぶ歪んだ視線も生まれるのです。また、黙示録の「1000年」という象徴的な数字を文字通りに解釈するがゆえに、終末の物語がオカルティックに混乱してしまっているのです。

凄惨な攻城戦は、突如降臨したイエス・キリストの圧倒的な超パワーによって決着がつきましたが、彼の攻撃はエルサレムという局地にとどまりません。全世界を覆い、非モルモン、不熱心なモルモンを含めて、モルモン教徒とエルサレムのユダヤ人(何故か特別)以外は全員死にます。死んだ者の霊は全て霊界の下級世界「獄舎(ひとや)」に送られます。人間の人間による社会はここに消滅しました。悪の存在しない平和な時代が幕を開けることになります。

物語は、神とキリストが直接地球を統治する運命の時代、「福千年(ミレニアム)」へと続きます。

次のページ:福千年と最後の裁きへ >